その手で 18.イクと渡り廊下

 毎週水曜日、俺とナイが会える数少ない時間。

 ナイの左耳のあたりに、小さく光るピンが止められている。

「急に誕生日とか言うから、いいもん買えなかったけど」

 ナイはふるふると頭を振った。

「イクがくれたものだから、嬉しい」

 ナイと喫茶店でケーキを食べて、ショッピングモールの中の雑貨屋でこのピンを見つけた。猫の形をしたヘアピンだった。

 ナイのイメージは猫だった。気ままで、物思いにふけ、懐くとべったり。猫が寝そべるような形のピンはナイの左耳の上で金色に光っていた。二つの長いおさげによく似合っていた。

「ナイって猫みたいだよな」

 ナイはしばらく思考して「私、人間だと思う。たぶん」と答える。

「たぶんなのか」

「人間が何か分からないから、たぶん」

 えらく哲学的なのもナイの猫らしさの一部だ。

 ナイの一重の瞳は暗く仄かに光っている。いつもの、何を考えているのか分からない瞳。いつも考えすぎて、考えていないようにすら見えてしまう。でも俺は知っている。ナイは余計なことまで考えすぎているのだ。

 渡り廊下の角、ナイは何も言わず俺の胸に頭をすり寄せた。こういうところも猫だ。

「はいはい、ナイは甘えん坊だな」

 ナイの前髪を上げて、額にキスしようとしたそのとき、

「あっ、あの、ミズ! 水嶋先生が、呼んでる」

 背の高い女子が震える声でナイを呼んだ。そうだ、ナイの本名はミズだ。女子はポニーテールで、長い前髪を斜めに流している。そして、顔中そばかすだらけだった。

 俺は咄嗟に身体を離す。他の生徒に見られていいことなどないはずだから。

「ナイ、行かなくていいのか?」

 ナイは迷いを含んだ時間を数秒歩んだ後、ゆっくりと俺から離れた。名残惜しいと、彼女の目が語っていた。

「嘘だった」

 帰り道、俺たちはナイが乗るバスのバス停一つ分一緒に歩くのが日課になっていた。

「嘘?」

 優しい風が俺たちの身体から余計な熱を奪っていく。それが気持ちよくて秋がやってきたのだと知る。そろそろ詰め襟を出しておくべきだろうか。

「モナが、私が不良に絡まれてると思ったらしい」

 不良、か。だるだるのズボン。はだけたシャツの中の青いTシャツ。根元が伸びてきてプリンカラーになってきた長い髪。どっからどう見ても不良だった。一緒に引いている自転車も校則違反のブルーフレームだ。

「渡り廊下で会うのも考え物だな」

 ナイの見えない猫の耳がしゅんと垂れるのが見えた気がした。ナイはどんどん俺を欲するようになった。でもそれは、ナイだけじゃない。俺は急に不安になって、ナイの頭を抱き寄せた。

「そんなに落ち込むなって。俺だって会いたい」

 ナイが背伸びをする。俺も背をかがめた。メンソレータムの味がした。

「私は、どこでならイクに会えるの?」

 一重の瞳が揺れている。ナイが強く俺を求めるとき、ナイは強く生を求める。約束された死を俺が持っているから――そうナイが信じているから。

 このままナイを帰したくなかった。衝動があった。ナイになら、見せてもいいだろう。

「ナイ、俺ん家来るか?」

 ナイは頷いて、自転車の後ろに腰掛けた。