その手で　１４．ナイと国語準備室

　夏休みの一件は叔母さんにひたすら怒鳴られ、叔父さんがたしなめるという寸劇を見て幕を閉じた。〈岩崎屋〉に行くと、大将さんが「本当に悪いことをしちまった」とラーメンを奢ってくれた。初めての塩ラーメンは黄金色のつやつやしたスープが華やかな香りでとても美味しかったが、やはりまだすすることはできなくてイクに笑われた。

　そして新学期、私は水嶋先生に国語準備室まで呼び出された。

「会わせたい人がいるんだ」と水嶋先生は言っていた。私にはイクがいるからいいのだが、水嶋先生はイクのことを知らない。私はひとりぼっちの不登校学生でしかないのだ。

　国語準備室に水嶋先生と入ると、先に一人の少女がいた。背は高く、髪は高い位置のポニーテール。準備室に置いてある蔵書の背表紙を眺める瞳は淡く弱々しかった。

「お待たせ、橋栗さん」

　はしぐりさんと呼ばれた彼女が肩をびくりと震わせる。

「二人とも座って」とパイプ椅子に促される。国語準備室という授業用の資料が置かれているだけのはずの部屋に何故か置いてある小型の冷蔵庫から、水嶋先生がティーバッグの入ったボトルを取り出す。

「水出し紅茶だけど飲める？」

　私と少女は同じくらいの遠慮の仕方で控えめに頷いた。

　注がれたそれを一口含むと、種類は分からないけれどいい香りがした。紅茶というものを私は殆ど飲んだことがなかった。この部屋の全てを煮詰めたような香りだと思った。

　水嶋先生も座ると、交互に私たちを見た。

「こちら、橋栗萌南（モナ）さん。それでこちらが松岡深澄さん。二人とも会うのは初めてかな？」

　私は教室での記憶を一切持ち合わせていなかった。興味のないことは取り立てて何か起こらない限り覚えない。

「ここからは少し言葉を選ばないといけないね」と水嶋先生は前置きして続けた。

「君たち二人は、クラスにいることが少し難しいことになっている。どういう理由かは私には分からない。けれど、教室で一緒にいることができる人がいるのなら、少しは気分が楽にならないかな？　って二人を呼び出したんだ」

　私はモナと呼ばれた少女をまじまじと見詰める。彼女は私と視線を合わせては逸らすを繰り返していた。そばかすが顔中に、首まで散らばって、絵の具を投げつけられたように見えた。

「よっ、よろしく、松岡さん」

　彼女の声は震えていた。

「よろしく」とだけ返事をする。

　水嶋先生はどうしたいのだろう。私は別に一緒にいる人を求めているわけではなかった。クラスで無視されることにも慣れたし、危害を加えられることもあまりない。進級できるギリギリの出席さえできれば、あとはイクと「忘れ去られた場所」で私の死について思考していられたらそれでよかった。

　一緒にいる人がいれば、教室に居場所ができるのだろうか。分からない。だってあそこは私の居場所じゃないから。

「二人で一緒に教室まで行けそうかな？」

　モナが顎を沈める。私は行きたくはなかったが、この少女が震えているのが気になって、手を繋いだ。そんなに怖いなら教室に行かなきゃいいのに。でも、大丈夫だと私は伝えたかった。

　モナが手を控えめに握り返した。私は、少し嬉しかった。