その手で 13.ナイと夜明け

 私には何もない。家族も、友達も、取り柄も、居場所も、何もない。私と一緒にいてくれる人ができたのだと錯覚していた。でも結局私はそれほど大切な人ではなかったららしい。

私以外にも『人』がいるんだ。思い上がっていた私に吐き気がした。何かを得るということはいつか何かを失うということだ。私はまた失った。失う痛みが身を引き裂いて、四肢をもがれて身動きが取れないかのようだ。

 私は燃え尽きた河川敷の花火の跡を見ていた。

 なんで私は死ななかったのだろう。

 家族は皆、瓦礫に押しつぶされて死んだ。私だけ生き残ったのは、不幸なことだった。

 黒い河が私を見ている。飛び降りれば、私も死ぬことができる。

――私が死んだって、誰も悲しまないよ。

 ふっ、と乾いた笑いが出た。私が今まで死ななかったのは死の淵に立っていても背中を押してくれるものがなくて、ただギリギリのところを歩き続けただけなんだ。変わることを恐れて、怠惰に命を消耗していた。

 河はうねって私の姿を写さない。死の世界は、きっとこれくらい暗いんだ。

 しかしどうしても最後の一歩が出なかった。最後の最後になっても、イクの顔が浮かんだ。艶のない金髪にニキビのある頬を上げて笑うイク。背が高くて、甘い煙の臭いがするイク。

「イクに、殺されたいよお」

 私は橋の上でうずくまった。人通りはもうない。時折通る車のライトだけが私の影を伸ばした。

 瞳の中に、膜があった。

 涙はあるのに、その膜を突き破って落ちることはない。

 この膜はいつ頃できたのだろう。

 どれだけそこに居ただろう。一歩も動かずに私は橋の上で思考し続けた。

 喉が酷く渇いた。生臭い河の臭いがする。

 私は死にたい。でも、一人じゃ死ねない。なんてわがままなんだろう。

 イクは私だけの人じゃない。でも、私にとって、イクは唯一の人だ。

 思考の渦が胃を締め付けてその場で小さく吐いた。吐瀉物は空っぽの胃液だけで、私の足を濡らした。本当に何もナイ。本当に。何も。

 瞳の中の膜がたわむ。破れる前に、私は、

 ふわりと、甘い煙の香りがした。肩が暖かい。耳元で、誰か泣いている。

「ナイ、ごめん。ごめんな」

 私は黙っていた。

「お願いだから死ぬな。俺が、俺が殺すから」

 顔をあげる。私の、唯一の人。

「ねえイク、イクは私だけの人じゃないけど、殺すのは私だけだよね」

 彼の抱きしめる力が強まる。苦しいけれど、生きている感じがした。

「私にはイクしかナイよ」

 ああ、とだけ彼は返事をする。

「私は、いらない子だった?」

 彼は大きくかぶりを振る。

「ナイは、俺の一番大切な人だ。だから」

 昇ったばかりの日が彼の目に映る。

「一生、俺と一緒にいてくれ」

 私の瞳の膜が割ける。心が破れて、透明な血液が涙の跡がぽろぽろと落ちる。

 この人は、私の地獄に昇った太陽だ。

 いつか私を焼き尽くす、その日まで。