その手で 30.ナイと中村家

 離れることがこんなにも苦しいものだとは知らなかった。

 一度癒着した粘膜はひとつの生物となり、引き剥がされた私は半人前の不完全な存在ではないかと思う。もともと完全な存在だったかは分からない。けれど個人として存在していたとは記憶している。今の私はもう、過去の私ではないのだ。

 家族を失ったことは別段寂しいとは思わなかった。それはどうしようもない事実で、私には変えることのない真実で、それが当たり前だった。

 でも私は知ってしまった。幸せの裏返しの寂しさを。愛しさからくる悲しみを。

 イクの家を出て帰宅したのは学校を出て次の日の夜だった。

 誰にも気付かれないよう静かに玄関を開ける。が、叔母さんはそれを聞き逃さない。

「どこほっつき歩いてたの。言いなさい」

 金切り声で私の頭を揺らす。がたがたと世界が揺れる。死ぬのかな。死んでもいい……とは思えない。

 どこって、イクの家だ。でも、叔母さんにはイクのことは内緒だ。言わない。私の幸せを叔母さんは知らなくていい。

「どうせ男の家でしょ。あの、例の彼氏」

 自室から降りてきた従兄が蛇みたいな顔でにやりと笑う。私はあの顔が急に怖くなった。

「彼氏と一日中やってたの。でしょ? 可愛いミズちゃん」

「なんですって?」

 叔母さんが両眉をつり上げる。

「そうなの? あなた何をしたか分かってる?」

 イクに触れて、愛をもらって、幸せを知った。それの何がおかしいのだろう。

 私は叔母さんを見た。そして、言う。

「私が何をしても、叔母さんには関係ないよ」

 刹那、私は玄関のタタキに倒れていた。右半身が痛い。イクのいない右側が、痛い。蒸れた靴の臭いに、叩かれた頬の痛みに、私は泣いていた。

「いい加減にしなさい。折角育ててやったのに。姉さんの残したあなたをどんな思いで育ててやったのか分かってる? あなたはいつも身勝手で、わがままで、聞き分けがなくて。どれだけ手を焼かせるつもりなの? 出て行きなさい。もう、帰ってこないでどこかに消えてしまいなさい」

 分かっていた。私の居場所はここじゃない。

 帰ろう、忘れ去られた場所へ。

 靴を履き直して玄関に手をかける。

「ちょっ、ちょっとまった、待ちなさい、ミズ」

 叔父さんが私の肩を掴む。

「ミズはオレたちの家族だ。お前は言い過ぎだ。どうしてそんなにミズに強く当たるんだ」

 だってあなた、と叔母さんが叫ぶ。

「ミズはこの家に来たときからオレたちの家族だ。どうしてそれが分からない」

 私は家族だと思ったことはなかった。否、家族がなんなのか私には分からなかった。ただ、この家の異分子であることは分かりきっていた。

 従兄は舌打ちをして部屋に戻り、叔母さんは叔父さんに肩を抱かれて居間に戻った。

 残された私は、家から静かに出た。